Go to Instagramclick

国際感覚を身につけることができた実家の生活環境

国際的な感覚をもつこと

「国際感覚を身につける」という観点から私が育った実家の環境についてお伝えしようと思います。

父は半世紀ほど英語教育に携わってきました。戦後日本の英語教育の草分け的存在のひとりだったと思います。

もくじ

父のこと

戦後日本に創立されたアメリカの学校

現在91歳の父は、昭和7年生まれです。戦争中はご多分にもれず軍国少年だったようです。

しかし戦争が終わり、住んでいた地域にアメリカのキリスト教系の学校ができることになりました。

終戦時に小学校6年生だった父はどのような経緯かわかりませんがその学校に入学することになりました。

敗戦直後の日本で、開校時は施設も少なく、野原にポツンと木造の校舎が建てられたような光景だったようです。

軍国少年からのびのび自由に過ごすことができる環境へ

その学校は当時にしては珍しく、授業は日本語と英語の二か国語を使い、アメリカ人の宣教師の先生方からはネイティブの英語を教わりました。卒業時には生徒たちは皆、流暢な英語を話せるようになっていたようです。

敗戦直後の日本なので正直なところ、教育に関してはアメリカの方針で「再び軍国少年が育たないように教育する」という目的もあったかもしれません。

しかし、父が言うには「先生方が一人ひとりの個性を尊重してくれてとてものびのび過ごすことができた。とても楽しかった」そうです。

1990年代には、90代になる宣教師の先生と会うために、当時のクラスメート数人のグループでアメリカまで行き、再会をとても楽しんだようです。

進学のために上京

父は上京して早稲田大学に通うかたわら銀座のPXでアルバイトをしていました。(※終戦直後、銀座の服部時計店や松屋百貨店はアメリカ進駐軍によって接収され進駐軍向けのお店「PX」になりました。その後、1952年にサンフランシスコ条約が締結されたことでPXに使われていた建物は日本に返還されました。)

母も実家が銀座に近くたまたまPXでアルバイトをしていて父と出会ったようです。

話がずれますが、ほんの少し前までは憎い敵国だったアメリカのお店でアメリカ軍人を相手に仕事をするなんて一体どのように感じていたのか?と両親に聞いたことがあります。

意外にもPXでの職場環境は大変良く、20歳前後の日本の若者たちは個人レベルでとても親切にしてもらったということです。

ただ、「10代の敏感な年齢で社会がひっくり返り、価値観がガラリと変わらざるを得なかったことはとても大変だった」と父からこれまで何回も聞かされました。

話は戻り、そのような背景があったので、両親共に国際感覚があったのだと思います。

1960年代に日本の英語教育業界へ

卒業後はアメリカ系企業に就職。そしてグローバル化(当時はそのような言葉はありませんでしたが)がすすんでいく未来を予想し、英語教育業界へ転身します。

今のように英語教育はまだまだ一般的ではなく、また講師となる外国人も少ない時代でした。

英語講師の人材育成をはじめ、多くの苦労があったようです。

私が子どもの頃の生活環境

実家での国際交流

そんなわけで私が子どもの頃は、外国人の講師を家に招いて夕食を一緒に食べたりなどの交流がありました。

余談ですが、私の戦前生まれの母も流暢ではないものの英語を話しました。

料理が上手で、当時はめずらしかったいわゆる欧米の本格的な料理を作ることができたので、日本で母国の味をなつかしむ講師たちが母の料理を喜んでいたのを覚えています。

1970年代、当時は国際交流という言葉もあまり耳にすることがなかったですが、実家がそのような環境だったので、子どもの頃から人種や国籍のちがいというものをほとんど意識したことがありませんでした。

また、父が家に持ち帰った子ども向けの英語の教材が家にあり、当時はめずらしかったカセットテープレコーダー(若い人は知らないかも?です)で弟と英語の教材のカセットテープを聞いてあそんだりと、家の中は自然に英語にふれる機会がありました。

私たち3人きょうだいへの影響

今になって当時の実家の生活環境を思い出すと、生活の中に常に本や映画、料理などの「異文化」がありました。

おそらくそれは私達きょうだい3人に大きな影響を与えたと思います。

きょうだい3人とも成人してから留学や仕事などで長らく海外に住んでいた経験があること、また弟は某日系製造業のヨーロッパ代表を務めた時に、現地の友人たちとの交流を楽しむことができたことは、実家の生活環境が影響しているかもしれません。

一般的に「国際感覚を身につける」というと、海外で生活をしなければ身につかないものだと思う人が多いかもしれないです。

しかし、海外で生活しなくても日常の生活の中で異文化にふれたり、異なる価値観を楽しむ生活をしていれば誰でも自然に国際感覚が身につくのではと思います。

親がつくる生活環境で子どもは国際感覚が身につく

子どもは環境に影響を受けやすいです。

私の実家の生活環境は1970年代の日本では一般的ではなかったかもしれないですが、日常の生活の中に英語があり、異文化にふれる機会が多かったことは3人きょうだいに大きな影響を与えています。

今の時代はオンラインを含めて生活環境に異文化を取り入れることは、格段にやりやすいと思います。

日本に住んでいても実生活の中でいろいろな体験をすることによって十分に国際感覚は身につくと思います。

後日、日本にいながらも実際に異文化にふれて国際感覚を身につける方法について書きたいと思います。

実家で学んだ「人の目を気にせず自分らしく自由に生きる」ということ

そんなわけで、実家の両親は私たちきょうだいが子ども時代だった1970年代にはすでにいわゆる多様性を重んじる感覚がありました。

そして「場所が変われば常識や価値観というものも変わるものだ」という考えを持っていました。

それゆえに実家では封建制度的な上下関係もなく、子ども達に自由を与えてくれていました。

たとえば人の目を気にするとか、皆と同じ意見を持つべきというような感覚がまったくなかったのでとてものびのびと子ども時代を過ごすことができたことは両親に感謝しています。

多様な考えや価値観を大切にすることも国際感覚を持つことの大きなメリットのひとつなのではと思います。

次回は「国際感覚を身につけることによって生きやすくなる」ということについて書こうと思います。

最後まで読んでくださりありがとうございました♪

もくじ