バイリンガル子育てについて書くにあたって、まず私自身が育った生活環境について書きたいと思います。
私は日本生まれ日本育ちですが、英語習得の背景は少し特殊だったと思います。
今でさえ日本でふつうに生活しているとほとんど日常生活で使うことのない英語は私が育ったはるか昔の?昭和の時代は日本で生活する上でほとんど存在しないに等しい言語でした。
たまたま私達きょうだい全員が自然にバイリンガルになったのは、幼少時代から英語にふれる環境で育ったことが背景にあると思います。
父からの影響「戦前生まれの父がなぜバイリンガルなのか」
戦前生まれの父は先日91歳になりました。父は日本生まれ日本育ちですが、その世代にしては珍しくバイリンガルです。
敗戦直後に父は中学を卒業、そして戦後すぐに創立されたアメリカのキリスト教系の中高一貫校に入学しました。
当時としてはかなり珍しく、教師陣は宣教師を含むアメリカ人も多く、日本の教育課程とともに英語教育に本格的に力を入れたいわば半分インターナショナル・スクールのような学校だったようです。
父が言うには校長先生から若い宣教師の先生方は自由精神に溢れ、生徒の自主性を尊重するとても楽しい学園生活だったそうです。
父はつい少し前までは軍国少年であることを求められていたわけなので、のびのび自由に発言、行動できる環境はさぞかし嬉しかったことだろうと思います。
卒業時、学生達は英語が堪能になり英語を使う仕事に就職したようです。
父は上京して外資系の会社に就職した後に英語教育に転身、その後に独立して80歳過ぎるまで40年以上、英語教育に携わりました。戦後の日本の英語教育のいわばパイオニア的な存在だと思います。
私について「幼少時代から自然に英語に親しんだ生活環境」
そういうわけで、私が幼少の頃から家にはよくアメリカ人やイギリス人の講師たちが遊びに来たり、家には子ども用の英語学習の教材があったので遊びのひとつとして英語にふれていました。
実は父は自分の子ども達への英語教育には熱心でなく、日曜日に父が気が向いた時に教材を使って教えてくれたりしたこともありましたが、それはほとんど身につかなかったですね(笑)。
でも日常的に家の中に英語が存在していたことはとても大きなことだったと思います。英語はなにも特別なものではなく、異なる言語を話す人との単なるコミュニケーションの手段という概念が幼少期から潜在意識に植えつけられたことはとても大きいと思います。

私の子ども達について「日本でのバイリンガル子育て」
私の子ども達は海外で生まれて幼少期に帰国しました。上の子は小1、下の子は3歳でしたが帰国当時はそれぞれの年齢レベルのネイティブの英語力がありました。
しかし帰国後にみるみるうちに英語力は失われ、ほんの数ヶ月後には「本を読む」という簡単な文も口から出なくなってしまいました。

子どもは覚えるのも早いけれど忘れるのもすばらしく早いんですよね(笑)!
その後は、わが家の経済危機(!)にも臨機応変に対応しながら、上の子は中学生で英検1級、大学生でTOEFLiBT105点を取得、下の子は高校生でIELTS7.5を取得できるまで英語力が伸びました。
上の子は学齢期にインターナショナル・スクールに通っていた時期がありますが、下の子は高校時代に約1年半ほど留学するまではずっと日本の学校だったので、家庭での英語環境は大きかったと思います。
まとめ
このように、わが家が親子三代にわたりバイリンガルなのは単に生活環境によるものです。血がにじむような努力とか根性なしにバイリンガルになったという感じです。
もちろん個人差はあります。人によっては大学生になってから日本語学習を始めて数年間でとても流暢な日本語を話す外国人もいます。
ただ、できるだけ苦労せずにバイリンガルになるためには幼少時代からの英語環境がとても大切だと思います。
言い方を変えれば、英語環境さえ整ってさえいればバイリンガルになることはむずかしいことではないと思います。
